何を学ぶかよりもどう学ぶかが重要-佐藤優【君たちが知っておくべきこと: 未来のエリートとの対話】

ふと読んだ佐藤優と灘高生達との対話集『君たちが知っておくべきこと: 未来のエリートとの対話』がとても良かった。本書は佐藤優氏の学生時代のエピソードや仕事から学んだインテリジェンスの世界の話を通じて、エリートとしての学び方や処世術が語られている。

最近、教育関係のセミナーやシンポジウムに参加する機会、特に途上国を対象にした教育シンポジウムやセミナーに参加することが何度かあった。

途上国だけでなく、「これからの国際社会で求められる人材育成」という文脈から見るときに、日本人含め、これからの子ども達は何を学び、どう学ぶべきなのだろうか。

 

君たちが知っておくべきこと: 未来のエリートとの対話

君たちが知っておくべきこと: 未来のエリートとの対話

 

受験勉強が役立たないというのはウソというのは私もAgreeだ。佐藤氏も述べているが、意味がなくて嫌いなことは、人間は長期間記憶することできない。受験勉強で得た知識が、受験を終えた瞬間から猛烈な勢いで失われていくというのはまさに受験勉強を「意味がなくて嫌いなこと」だと感じている証拠である。問題は受験システムにあるというよりも、普段の学習方法にある。何を学ぶかよりも、どう学ぶかがより重要なのだ。

先日、灘高の教師のお話を聞く機会があった。その教師は現在の実用的な学問への偏りを憂いていた。一見すぐに役立たないような知識や学びをメタ的に振り返る意味について語られていた。高校で学ぶ知識や大学受験の知識を大学での学問、あるいは実社会といかに結び付けて教えられるか。今後はそういった教育力がますます求められてくる、という。知識を有機的に繋げていくことのできる教師とそうでない教師との教育力の差が広まっていきそうである。こうした問題意識を捉えている教諭がいる灘という学校は、やはり強い。

本書で神学と知識を結び付け、知識を有機的に実生活と繋げていく必要性について触れている。

中世の哲学の格言で、「総合知に対立する博識」という言い方がある。今でいうと、オタクみたいな形で細かい知識や情報を山ほど持っていても、中世の発想からすると、そうした知識群はいかに人間が救われるかということに繫がっていかなければ全く意味がないんです。それと似たような意味で、知識をどう有機的に繫げていくかと考える姿勢がないと、大量の知識を持っていたとしても反知性主義に陥ってしまう。(佐藤優【君たちが知っておくべきこと: 未来のエリートとの対話】)

また、佐藤氏は幅広く学習する意味について、適正と職業についても触れながらこう語っている。

灘高生:自分に適性がないと分かった時はどうしたらいいんでしょう?

佐藤:そのためには、早くから狭い専門分野に特化しないで、幅広くいろんなことをやっておくこと。そうすると移動が比較的楽になります。

(佐藤優【君たちが知っておくべきこと: 未来のエリートとの対話】)

ここ最近、専門学校(専修学校専門課程)における「職業実践専門課程」の認定など、高等教育での「職業人」育成に重点を置いた政策が、多くの教育関係者の賛否両論を呼んでいる。私としては、高等教育において実務志向の教育はある程度必要であると思う。しかし大事なことは、実務に直結するような教育を早いうちに受けることではないようにも思う。最も大事なことは、一見実生活ですぐには役立たないような知識や考え方を、どのように実社会と結び付けて学べるかだ。学びを実社会の中で応用する力、その応用力を鍛えることがこれからの時代に必要な教育ではないだろうか。