トゥール・スレン虐殺博物館&キリングフィールド

Tuol Sleng Genocide Museum and Killing Fields

カンボジアと言えばアンコールワットを始めとするアンコール遺跡を思い浮かべる人が多いだろう。 実際、タイ、カンボジアベトナムと東南アジアを周遊するバックパッカー達もカンボジアはアンコール遺跡のみ見学して立ち去る人が多い。

そのアンコール遺跡はシェムリアップという都市を拠点として観光するのが基本である。そしてこのシェムリアップから首都のプノンペンまではバスで約5時間。 そこそこの移動時間がかかるために短い期間しか許されない旅人は首都に訪れることなくカンボジアを去っていく。

カンボジアの負の歴史、曲言すれば、カンボジアという国を知るためにはプノンペンは避けては通れない場所だ。なぜならその地にはシェムリアップでは感じられないような、ポルポト政権時代の深い傷跡が未だに残っているのを肌で感じられる場所だからである。

その中でもトゥール・スレン虐殺博物館、キリングフィールドはカンボジアの暗黒時代のシンボルとなる場所である。 私はこの二つの施設を訪れ、カンボジアの負の歴史を学ぼうとした。

トゥール・スレン博物館とはポルポト政権下において、クメール・ルージュカンボジア共産党)が反革命分子を拷問・虐殺するために、もともとプノンペンの中心に位置する高等学校の施設を利用して造った収容所のことである。

この収容所に2年9ヶ月の間に14,000~20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのは8人(現在身元が分かっているのは7人)のみであった。

ここではありとあらゆる拷問が行われ、特に学者などの知識人たちが多く処刑された。 「革命に学問は不要」というクメール・ルージュの方針は、高等学校を無人にし、収容所に変えるという行為に表れている(つまり、高等学校で学んでいる生徒や教鞭をとる教師が多数犠牲になったということ)。

この行為こそがカンボジアの教育の大きな遅れの原因になったことは言うまでもない。 その場所を訪れながら、重苦しい拷問部屋や犠牲者の遺物として残された衣服などを目の当たりにして、犠牲者の悲痛かつ無念の叫び声が聞こえてくるようであった。 

次にキリングフィールドについてである。

   

ここはポルポト政権下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡の俗称であり、いわゆる処刑が実際に行われた場所である。

入場料を払って中に入ると、国別の音声ガイド機器が無料で貸し出される。そのガイドを聞きながらこの場所を回るのである。中は最初に大きな平和記念塔があり、この記念塔を一周するような形で見学する。 犠牲者の遺骨が散らばっている場所や、キリング・ツリーなどがある。ガイドの声に合わせて目を閉じれば当時の情景が思い描けてしまうほどにその空気は重々しいものである。

「キリング・ツリー」とは、主に子供を処刑する際に用いられた大きな木のことである。銃弾を使うのがもったいないという理由から子供をそのまま木に叩きつけて処刑する、あまりにも残酷なものである。

 

しばらくの見学を終えてこの場所を去ろうとしたときに入口付近に書いてある言葉が印象的だった。  

「リビング(living)フィールド」

私はしばらくここに書かれているこの言葉の意味を考えた。死ぬことは生きることである。この地で亡くなった者は多いが、彼らの想いや魂はきっと生きている。そして彼らの生きたかった未来を、後世の人々は生きている。そして何よりも、このキリングフィールドを訪れた私は、生きている。そんなことを考えながら、私はこの場所を後にした。    

最後になるが、トゥール・スレン博物館やキリングフィールドを訪れた時に感じたこと。   それはこういった場所を訪れる欧米人の圧倒的多さに比べて日本人があまりにも少ないということだ。

確かにカンボジアを訪れる欧米人の数そのもの自体が日本人よりも圧倒的に多い。それでもアンコール遺跡付近には沢山の日本人がいたのにも関わらず、私がこの二つの施設を訪れた時に日本人は私一人だった。  

アンコール遺跡近くの日本人が多く集まるゲストハウス(タケオゲストハウス)で、私が日本人旅行客に上記した二つの施設を訪れる予定であることを述べると、「変わってますね」「そういうところは好きじゃないです」「すごいね」「興味はあるけど・・」という感想を頂戴した。確かに重苦しい雰囲気のために、そういったものに弱い方は遠慮されたほうが良いかもしれない。  

しかし現実を直視すること、歴史を重んじそこから学ぶことはとても大切なことではないだろうか。そういうことに目を背け、あるいは関心を注がない人たちはきっとアンコールワットを見てもその外観に圧倒されるだけで遺跡や遺跡内のレリーフに表わされる歴史性を100%感じることはできないだろう。もちろん、それが悪いとは言わない(言えない)。

ただ、もったいないとは思う。   歴史に興味を持つことは大切であるし、上記した二つの施設を見学する欧米人の姿勢はそれはそれは真剣そのものであって、その姿勢から学ぶことは多くあった。