韓国留学中の学生がセウォル号事件について考えてみた

はじめに、セウォル号事件は今もなお救助活動が続いており、この事件について考察することでこの事故を「括って」終結させることをしてはいけないし、私たちはたとえそれが外国で起きた事故だとしてもそこから学び、これからも考え続けねばならないと思う。

何人かの人が論じているように、この事故は韓国社会の悪い部分をこれまでかというぐらいにさらけ出したような事故だったと思う。

災いには天災と人災があるが、今回の場合ほぼ99%人災と見なしても良いのではないかと思う。

 

僕は韓国で留学生活をしながら、最初にこの国を生活した時から変わらない疑問があった。

それは所謂仕事とプライベート、つまりは公私を混同することが当たり前のようになっている奇妙な韓国社会である。

コンビニでスマートフォンを見ながら接客する店員は珍しくなく、信号が赤にって停車すると隣のバスに話しかけるバスの運転手、病院の受付でさえ患者が来るまでずっとTVを見ながらくっちゃべり、患者が来てもめんどくさそうに対応しそのあとにまたすぐTVを見る。こういう光景は日本だと1発で首になったり厳重注意の対象である。あるいはお客から直接クレームが出ることも必至だろう。

しかし韓国ではこういった雰囲気がいわゆる普通であるし、だれもそれを咎めたりしない。

 

以前、バスの運転手が運転中に家族と電話しているのを見たことがあった。

これには驚いた。何よりも驚くのは乗り合わせていたほかの乗客誰一人としてこの状況を不思議と感じないところ。というよりもこれが韓国社会であり、これが韓国の生活なのである。

 

今回の事故を聞いて思うのは、確かに事故発生時に運転していたのは25歳の3等航海士だったとか、船長や政府の態度・対応に多分な原因があることは否定できないが、そういったミクロな理由よりも上記で述べた韓国社会全体に蔓延している一種の病理性ともいえる仕事とプライベートの公私混同、上司の言うことは道徳的に間違ってたとしても逆らえない環境、というようなマクロな背景が大きいのではないかと思うのである。

 

韓国人自身も今回の事故によって韓国社会全体を見つめるようになってきている。これまでの反日政策のような被害に対する責任転嫁性なども、徐々に自分たちの国が自分たちの手でどのように変わるのかという自助の精神へと変わってくるかもしれない。

 

また朴大統領の船長へ対する「殺人者」発言も気になる。何が気になるかといえば大統領が大統領というその職の意味を考えていないのではないかと思うのだ。

大統領はもちろん国のため、国民のために働く義務がある。船長も一人の国民として大統領からこのように避難されるべきではなかったと私は思うのである。

というのも船長自体はそれ以前に多くの国民に避難されており、法的にも逮捕されているわけであるし、船長に限らず政府の救助への不手際も少なからず存在しているからだ。

朴大統領は船長を「殺人者」と呼ぶ代わりに、今回の事故の背景にある韓国社会全体の問題に目を向け真剣に取り組む必要がある。

 

犠牲になった方々を思うと胸が痛む。

私たちにできることは少ないかもしれないが、今回の事故を通して考えることを止めてはいけないし、よりよい社会を作るための努力を止めてはいけないのだと思う次第である。