イエスとパウロの対比ー中村うさぎ/佐藤優 【聖書を読む】

 

聖書を読む (文春文庫)

聖書を読む (文春文庫)

 

 以前紹介した中村うさぎ佐藤優の【聖書を語る】 よりも、実際に聖書を創世記からヨハネの黙示録まで読んでいくのでかなりボリューム感のある内容となっている。本書自体は平坦な文章で書かれており、読みやすさを重視しているので聖書を読んだことない人でもそれなりにスイスイ読み進めることができる。


前作の【聖書を語る】 でも感じていたことではあるが、同じ聖書というテキストを介してもそれぞれの育った環境や受けた教育によってここまで解釈が異なるのだと再度思わされる。大学で神学を専攻した佐藤優キリスト教に造詣が深い中村うさぎの二人もまた、同じ聖書を読みながら読感や解釈が異なり、それがまた本書を面白くさせている。
対談している二人の人間的な部分について言及するならば、人間関係が生命線の外交の一線で闘ってきた佐藤優の、相手の意見を尊重し、決して否定しない姿勢から多くを学ばされる。佐藤優中村うさぎの意見を真摯に理解しようと努め弁護し、たとえ神学的にぶっ飛んだ疑問についても丁寧に応えていく。佐藤優中村うさぎキリスト教的、特にプロテスタント的と評価し、中村うさぎ佐藤優を政治的な人だと評価するが、私は本書を読みながらほとんど真逆の印象を受けた。

中村うさぎはどちらかといえば因果関係を重視し、曖昧さを嫌う非常に論理的な人のように思える。一方佐藤優は、たとえ論理的に理解できないことであってもそれを信じることのできる、いわゆる信仰のある人だと感じる。こうした両極のようにいる立場の人が同じテキストを読みながら独自に解釈するのは非常に斬新的で、本書は対談という形だが見方を変えれば聖書の解釈をめぐる宗教会談のようにも感じる側面がある。

本書で特に面白いと感じたのはイエスとパウロを対比させながら両者を論じていたことである。キリスト教それ自体はほとんどパウロの努力によって出来上がったものといって言いかもしれない。おそらくイエスもこのような形でキリスト教を作ろうとされていたわけではなかったように思う。なぜならイエスが反知性的な、非論理的な中から人々を接してきた反面、パウロは非常に政治的でそれこそ人間の知性を最大限に利用しながら布教していったように思えるからだ。
佐藤優が研究していたヨゼフ・ルクル・フロマートカ というチェコ神学者によれば、「受けるよりは与える方が幸いである」という一説の解釈に相当な力を注ぎ、それはパウロのように「こうすべきだ」「そうするとこうなります」というある種の人生の決断を重んじるのではなく、生き方そのものが現れているイエスの言葉であると。損得勘定ではなく身についた習慣のようにするべきであると。そうした生き方が周りに伝染していくのだというフロマートカの解釈に佐藤優は大変影響を受けたらしいが、私もここで紹介されているフロマートカの理論に非常に共感した。

聖書を一度でも読んだことのある人なら、本書を読みながらきっと「こういう読み方もできるのか」という思いにさせられ、再度また聖書を手に取って読みたくなるに違いない。