資本論がよくわかるー的場昭弘【超訳 『資本論』】

 

超訳『資本論』 (祥伝社新書 111)

超訳『資本論』 (祥伝社新書 111)

 

 マルクスの有名な『資本論』の解釈的役割を果たす本書は、おそらく巷にある『資本論』の解釈本の中でもかなりわかりやすく丁寧に解説している書物だ。

超訳というよりもどちらかといえば要約書のような構成になっている。

かくいう私も岩波書店の『資本論』を2回読んでみたが難解な言葉と構成で半分も理解できなかった。しかしながら本書の助けを借りて『資本論』でマルクスが言いたかったことを少しは掴めたのではと思う。
むしろ本書を読んでなお『資本論』が理解できなければ、もはや資本論を理解することをあきらめた方がいいかもしれない。私は経済学出身でもないし、経済学を体系的に学んだこともないが、経済学原論を学んだ人ならこの本はかなり分かりやすいだろう。経済的素地がない私でもすらすら読めたのだから。

本書はマルクスの『資本論』の文書構成に忠実に沿いながら各々の箇所で理解困難と思われる部分を筆者が解説していく。
資本論』とはつまりは資本主義の構造を暴くことに目的があるが、今なお『資本論』が多くの人に手に取って読まれている理由は、現在においてもそれが有効なテキストであるからだ。

本書の終盤では「一生懸命働けばいつかはお金持ちになれる」といった幻想を打ち砕くべく、こうまとめている。

「なぜ労働者は努力しても資本家になれないのか。それは最初から条件が違っているという事実を知れば理解できます。資本主義が始まる前には、様々な条件が必要で、そのために国家、軍、警察、法律、宗教、こうした経済外の要因も深く関係し、これらによって、労働者が労働力商品以外に売るものがないような条件がつくり出されたわけです。 」(本書 P347)


以前紹介した佐藤優「紳士協定」では、筆者の鋭い洞察と分析によって英国の階層社会が描かれていたが、現在の日本においても英国ほど階層間の移動が固定化されていない状況であっても、資本家と労働者という資本主義の構造が当たり前のように展開されている。 
フレームを作る側と作られたフレームを埋めていく側とに分化され、フレームを作る側へ渡るために必死な努力を続けることで資本主義のパワーゲームに組み込まれていく。そのパワーゲームに勝ち残り、フレームを作っているつもりでいても実はさらに大きなフレームの中で小さなフレームを作っているだけであり、それもまた大きなフレームを埋めているだけという ことに気づかされる。
こうした資本主義の限界や危険性を省みる契機を与えてくれるのが『資本論』なのだと思う。