私の人生の師 V・E フランクルが居た場所-アウシュビッツ強制収容所

私は一生の間に訪れたい場所が3か所ある。
トルコ、北朝鮮、そして3つ目が今回訪れたポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所だ。

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私の師、ヴィクトール・フランクル

私は20代前半に生きる意味に迷い、これまで善しとされていたことに疑問を感じ、今までの人生の中で最も苦悩した時期だったが、そんな時に書物を通して一人の師に出会った。それがユダヤ人のV・Eフランクル(Viktor Emil Frankl)だ。

フランクルはユダヤ人としてウィーンに生まれ、精神科医として勤務していたが、ドイツがオーストリアを併合する中でナチスによってアウシュビッツ強制収容所に送られた。その体験記である『夜と霧』はあまりにも有名な書物で誰でも一度は耳にしたことがあるかもしれない。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

私は『夜と霧』を始め、彼の書いたほぼすべての著書を読みながら、彼の人生に対する考え方や価値観にひどく衝撃を受け、人生の師の一人として尊敬するようになった。
そんなフランクルの居たアウシュビッツ強制収容所に、短い冬期休暇を利用して行ってきた。-15℃の極寒のポーランド、アウシュビッツは当時の収容所での「生きる厳しさ」を想像するのに相応しい寒さだった。

強制収容所では「思想」「職能」「人種」「宗教」「性別」「健康状態」などの情報をもとに「労働者」と「人体実験の検体」、そして「価値なし」などに分類され、「価値なし」と判断された人はガス室に送られ殺される運命だった。

働けば自由になる」と書かれた収容所入り口の看板から当時の様子が想像できるが、働くことができても過酷な労働環境の中で身体は衰弱し、遅かれ早かれ死ぬ運命しかない絶望的な環境だった。

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ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)

しかしそれまでウィーンで自殺患者部門の精神科医として勤務し、「ロゴセラピー(意味中心療法)」呼ばれる心理療法の分析を完成させていたフランクルは、ナチスの看守たちが収容所内の人々の身体を思うがままにし、まるで看守が彼らを「モノ」として扱う中にあっても、「この状況にどのような態度で反応するか」を選択する自由がまだあることに気付く。それは決して看守たちも奪うことができないものだと。

生きる意味は、我々が問われている

フランクルは、厳しく絶望な環境の中で「人生に何の意味があるのか」と問う人々に対してこう応えている。

「われわれが人生の意味を問うのではなく、われわれ自身が人生の意味を問われているのであり、答える責任があるのだ。」

「私たちが生きる意味があるかと問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、人生の問いに答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。」

「私たちはさまざまなやり方で、人生を意味のあるものにできます。活動することによって、また愛することによって、そして最後に苦悩することによってです。苦悩することによってというのは、たとえ、さまざまな人生の可能性が制約を受け、行動と愛によって価値を実現することができなくなっても、そうした制約に対してどのような態度をとり、どうふるまうか、そうした制約をうけた苦悩をどう引き受けるか、こうしたすべての点で、価値を実現することがまだできるからです。」(引用『夜と霧』)

自由こそが、神が人間に与えた最も大きな愛ではないか

このような考え方によって、フランクルが過酷な収容所生活で生き延びる力を得られたのかは分からない。
ただ言えるのは、たとえ環境が私たちの行動を狭めることになっても、その行動の範囲が人生の意味や価値を決めるのではないということ。
私たちはその環境に対してどのように反応するのか・どのような態度で臨むのか、という選択の自由は残されているのだから。

その自由こそが、人間が人間たる所以であり、神が人間に与えた責任なのだと思う。