「大切なのは答えではなく応え」ではないだろうか。

「倫理」とは何か?問いで始まる英国式授業

イギリスの大学院(IOE)の授業では、問いによって始まり、問いによって展開される。ほとんどの授業では授業の初めに問いが投げかけられ、学生自らがその問いについて考る。先日の授業では「研究者の倫理」をテーマに授業が展開され、冒頭の問いはその授業の一番最初に教授クリスから投げかけられたものだ。

倫理」って何だと思いますか?

この問いに対し、学生から様々な応えがあった。

「何か規則みたいなものだと思う」「哲学的な何かかな」「とても良い響きだね」

学生から出てくる様々なアイデアにクリスも丁寧に反応しながら決して否定することはない。

ところでwikipedia先生によると倫理とは、

 人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル

と書かれている。

でも教授はそんな正解を求めていない。ここでは正論君になる必要はなく、自分の頭で考え、応えることが求められているのだ。

学生から発せられるユニークな応えの中には、彼らの経験や生き方・価値観などのバックグランドが潜在的に反映されていることに気づく。僕たちが普段当たり前のように使っている言葉、何となしに共通事項だと思っている事柄というのは、往々にして個人のバックグランドによって一人ひとりの中で再編成され、もはや「共通」ではなくなっているのではないか。だからこそ僕らはその再編成された事実を確認するために、互いの考えを共有する時間が必要なんだと思う。

「日本の教育」という括りで逃げる訳にもいかないが、僕らはそれでも「日本の教育」によって、正解のある問いにあまりにも慣れすぎてしまったのではないだろうか。あるいは物事に対して「たった一つの正解」を求めすぎてきたのではないだろうか。

答えを求めているうちに、「倫理」とは何か、という問いに対して「とても良い響きだね」という応えを知らず知らずのうちに排除してしまう危険性があるのではないだろうか。

私が考えるイノベーション

思うにイノベーションというのは、「0から1を生み出すこと」ではない。どこにでもありふれた常識という名の1を、あるいはありふれた正解という名の1を、自分の知識や実験、経験や価値観の中で再編成し、2にすること、100にしていくことに他ならない。そう考えると、僕らの周りはイノベーションの可能性で溢れていることに気づき、楽しくなってくる。

常識化された事柄に対して、それをどのように再編成し、応えていくか。この過程がまさにイノベーションの第一歩だと思う。

大切なことは、問いに対してどう応えるかであり、その応えを互いに共有する「対話」の場を持つことなのだ。