【学校は死んだ】のか? イヴァン・イリイチ

 

昨日の授業ではクラス内での議論が白熱しました。
様々な意見が出ましたが、争点は果たして「学校は死んだのか」ということ。


【ポストコロニアリズムの教育の位置づけから】

戦後に途上国が次々と独立し先進国からの直接的な支配から逃れた後も、途上国における教育政策や教育システムそのものが西洋先進国のコピーに過ぎず文化面における西洋主義の支配が依然として続いているのではないか、というポストコロニアリズムの潮流の中で、もう一度現代というコンテクストの中で開発・教育を再思考/再定義していく必要があるのではないかというテーマの授業でした。
「学校は死んだ」と主張する中心的な人物の一人が、イヴァン・イリイチ(Ivan Illich)という哲学者・思想家です。彼は学校という制度そのものが、文化帝国主義的で真に学びを阻害している元凶だとして、フリースクールなどの「脱学校化」理論を展開します。

【学校制度による弊害】

学校制度が真の学びを阻害するとされている主な理由は第一に学校のカリキュラムでは学ばないHidden curriculumの存在です。学校は非常に官僚的で、いわゆる効率的なカリキュラム(教師にとって効率的なのか、生徒にとって効率的なのかは疑問だが大体は前者)が設定されていますが、それは逆に言えばカリキュラム化されていない事象に目を背けることになるのではないか?実はそのカリキュラム化されていない部分にこそ真の学びが隠されているんではないか?既存の学校制度では学びそのものが非常に制約されてしまうのではないか?という批判です。

第二に学校制度では教育の質や学びが教師に依存してしまうという点です。誰もが素晴らしい教師の下で学べれば良いのですが実際は相性もあります。そして特定の偏った主義・思想を持った教師の下で学ぶことで柔軟な思考や寛容性を失わせるのではないかという批判があります。
第三に学校制度によって本来の学びの意味や目的から外れ、資格至上主義になってしまうのではないかということ。学校で何を学んだかよりもどこで学んだかが重視されるようになり、現在持っている個人の能力よりも大卒なのか高卒なのか中卒なのかということが重視されるようになる。特にこの傾向は雇用市場においては顕著であり、学校制度が知識や技術の「学び」よりも、雇用におけるパスポートのような役割しか果たしていないのではという批判です。


【我々の議論 「教育はオーダーメイド化されるべき?」】


以上を踏まえて教室内においてもそれぞれの立場からそれぞれの意見が飛び交いました。カタールから来たある男性は「教育はオーダーメイド化されるべきだ。初等教育さえ終われば、あとはそれぞれが好きな科目を学べるシステムにすべきだ。インターネットが普及した現在においてはそれが可能になる。自分が関心のある分野を、自分が好きな教師から学べる時代が来る」と主張しました。
それに対してアフリカとフランスから来た女性がそれぞれ「自分の興味が変わった場合に他の分野を勉強したくなったらどうするのか?10代そこそこで自分が学びたいことなんてどうやって分かるのか?」と反論したうえで既存の学校制度は幅広く学ぶことでいつでも方向転換を可能にすること、自分が学びたいことを発見するために必要な制度であることを主張しました。
実際は多くの人が「教育のオーダーメイド化」が理想だと感じているのですが、実際にはそこで様々な現実問題やリスクが生じてくることを分かっているのでこうした議論になるのだと思います。

【私の意見】 

「学校は死なないがそのほかの選択肢は増えていくだろう」
僕個人の意見としては、今のような学校制度というのは形は変われど永続的に残っていくだろうと予想していますし、またその必要性も感じています。ただ、その意味合いが変わってくるのだと思うのです。既に公立学校以外にも多くの私立学校がある中で、「最良の教育」を求めて子供の親は公立か私立かと選択を行っています(もちろん実際には経済的な格差が選択の自由の制限や格差を生むのですが)。こうした選択の幅がもう少し広がるのではないかと。例えばホームスクールやこのブログでも紹介したNGOベアフットカレッジのように地域と密接したコミュニティ型の教育環境、または日本ですでに創設されている海陽学園のような民間企業が出資した学校など、こうした様々な教育環境が今後認知され普及していくと考えられます。その中でも既存の公教育は無くならず、むしろ教育のセーフティーネットという位置づけとして残っていくのではないかと思います。
僕の修士論文は「新しい学びの環境」が一つのテーマなので昨日の授業は非常に勉強になりました。
途上国の教育政策を考える中で、日本の教育や学校制度に非常に疑問を感じることも多々あり、できればいつかは日本の教育にも貢献していきたい、そんな想いが募る日々です。