『ホテル・ルワンダ』ルワンダ虐殺から23年、虐殺はなぜ起きたのか

1. 『ホテル・ルワンダ』でルワンダ虐殺の概要を掴む

先日、日本でも有名となった映画『ホテ・ルワンダ』を観ました。
映画を観る前からルワンダについてはフツ族によるツチ族へのジェノサイド、つまり虐殺が行われた歴史があるということは知っていました。
しかし、その歴史の背景やルワンダの国そのものの状況については全く無知だったので、せっかくなので日本でルワンダ虐殺をテーマにした最も有名な映画である『ホテル・ルワンダ』を観てみました。

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映画はルワンダ内で多数派のフツ族が、少数派のツチ族を100万人以上を約100日間で虐殺する状況の中、ホテルの支配人ポール・ルセサバギナが1200名以上の難民を自分が働いていたホテルに匿って助けたという実話が基になっています。

ちなみにルワンダの当時の人口は約1000万人と言われているため、実にルワンダ国民全体の10%-20%が同国民に殺されるという状況で、映画でもその悲惨さが描写されています。

2. そもそもツチ族とフツ族って?実はルワンダを構成する民族は「3民族」

ルワンダはもともと第2次世界大戦後に「アフリカの奇跡」とも言われるほどに著しい経済成長を遂げ、「千の丘の国」と呼ばれる緑美しい国でした。
それがなぜ、人類史上でも最悪の虐殺の一つとされる事件が起きたのでしょうか。

ルワンダ虐殺はルワンダのフツ族とツチ族の民族的な対立とされていますが、実はルワンダを構成する民族はこの2つの民族のほかにトゥワ民族がおり、実際はトゥワ・ツチ・フツの「3民族」から構成されると考えられています。

しかもこの3民族のうち、この地域に最も古くから住んでいたのは、狩猟民族のトゥワでした。彼らはおよそ紀元前3000年から2000年頃にこの地域に住み着きました。
次いでやってきたのは農耕民のフツで、彼らは10世紀ごろこの地域に周辺に住み着きます。その後10世紀から13世紀の間に、北方から牧畜民族のツチがこの地域にやって来て
トゥワとフツ両民族を支配し、ルワンダ王国下で国を統治していたと言われています。しかしこれは学説の一つであり、ルワンダの民族のルーツについてはいまだに諸説があるようです。

3. なぜルワンダ虐殺は起きたのか?

ルワンダは第一次世界大戦まではドイツ、第一次世界大戦以降はベルギーの植民地でした。ベルギーは植民地戦略として、少数派であるツチを君主や首長等の支配層とする間接支配体制を敷き、フツとトゥワ族差別的な扱いを受けていました。しかしながら、1962年の独立を前にベルギーとツチ族の関係がだんだんと悪化し、ベルギーはツチ族を中心として独立した国家に対して、フツによる体制転覆を支援するようになりました。

ベルギーの支援を受けていたフツ勢力が1973年にクーデターを起こすと、逆にフツがツチを支配することになりました。これに対してツチ族は、ルワンダ愛国戦線(RPF)を組織して、隣国のウガンダを拠点に反政府運動を開始させました。そして、1990年10月にはRPFがルワンダ北部に侵攻し、ついに内戦が始まります。

内戦は3年弱にも及びましたが、1993年8月にアルーシャ協定が結ばれ、和平合意に至ります。しかしながら、1994年4月6日にフツのハビャリマナ大統領を乗せた飛行機が何者かに撃墜されたことが発端となり、フツによるツチの大量虐殺が始まりました。

4. 本当に民族的な対立だったのか?

ルワンダ紛争は異なる民族同士の対立と言われていますが、果たして本当に異なる民族同士の対立だったのでしょうか?そもそもツチ族とフツ族の違いは、どこにあるのでしょうか?映画『ホテル・ルワンダ』の中でも、ツチ族とフツ族の外見上はほとんど見分けがつかないと描写されています。

実はこの対立を生み出した遠因は、独立前に統治していたベルギーの分割統治政策にあります。イギリスもインドを分割統治し、同じ民族でありながらも対立させたように、ベルギーも統治政策としてルワンダを二分化させたと考えられてるのです。

ベルギー人などの白人による植民地支配がはじまると、白人は鼻の大きさや肌の色などを基準にツチとフツの境界を作り、ツチは「高貴(ハム系あるいはナイル系)」であり、対するフツは「野蛮」であるという神話・人種概念を流布させたと言われてるのです。
1930年代にはIDカードの導入によって明確に区分されるようになり、それまでなかったツチ族とフツ族という民族が他国によって"作られた"ということです。

5. 紛争のその後、終わらぬ争い

1994年7月にツチ族のRPFがルワンダ全土を完全制圧し、新政権が発足して紛争は終結しました。現在の大統領はツチ族のポール・カガメです。

現在、特別法廷で虐殺に関与した人物に対する裁判が進行していますが、虐殺に関わった当時のフツ族民兵の多くは隣国のコンゴなどに逃亡しています。そして互いの憎しみは消えず、コンゴに逃れたフツ系民兵は新たにルワンダ解放民主軍(FDRL)を組織して再武装し、ツチ系難民の組織した人民防衛国民会議(CNDP)とコンゴ領内で戦闘を続けています。

この争いは無関係なコンゴ住民にも被害が及んでおり、2009年3月にはルワンダ・コンゴ両政府がFDRLを一掃する作戦を進め、虐殺から逃れるために近隣諸国へ渡ったルワンダ難民にはルワンダへの帰還の呼びかけを強めているそうです。

参考:

https://ja.wikipedia.org/wiki/ルワンダ紛争

http://www.y-history.net/appendix/wh1703-105.html