デンマークの3人の偉大な人物-武田龍夫【物語 北欧の歴史】

先日、成田ーロンドンへのトランジットでデンマークはコペンハーゲンに寄る機会があったので、これを機にあまり馴染みのなかった北欧の歴史について、中公新書〚北欧の歴史〛を読むことで概略を掴んだ。

物語 北欧の歴史―モデル国家の生成 (中公新書)

物語 北欧の歴史―モデル国家の生成 (中公新書)

 

その中で紹介されていたデンマークを代表する人物を3人紹介したい。

デンマーク戦争後の復興を支えたエンリコ・ダルガス

デンマークは19世紀後半にプロイセン帝国と戦って大敗し、破滅的なダメージを受けた。このデンマーク戦争は通常、シュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国を巡る争いだったため、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争と呼ばれている。戦争は1848-52年の第一次と1864年からの第二次と2回に渡って行われ、第二次の戦争でデンマークはプロイセンに敗れた。

そもそもの戦争の原因は?

そもそもなぜ両国は戦争したのだろうか?きっかけはフランスで起きた2月革命にある。1848年にフランスで起きた2月革命はこれまでのブルジョワジー主体の市民革命から、プロレタリアートが主体となった革命であり、社会主義が台頭し始めるようになった。この2月革命はヨーロッパ諸国にも影響を与え、1848年革命として1848年に各国で民族意識が高揚するようになった。

シュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国も例外ではなかった。両公国ともそれまでデンマーク王国の勢力下にあり、北欧で汎スカンディナヴィア主義が推進される中で、この2つの公国の住民の大半がドイツ系だったのである。そして1848年革命による民族意識の高揚とともに、両公国は自治とドイツの統一を求めるようになった。

しかしこうした気運にも関わらず、1848年にデンマーク王のクリスチャン8世が亡くなり、後継のフレデリク7世が即すると彼はシュレースヴィヒ、ホルシュタイン両公国をデンマークに併合しようとした。そこで両公国は反発、そしてドイツ連邦、プロイセンの支援を受けて併合に反対したのである。

1848年にデンマーク王のクリスチャン8世が没し、フレデリク7世が即位すると憲法を発してシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国をデンマークに併合することを命じたことに始まる。両公国は反発し、ドイツ連邦の支援を受けて仮政府を樹立した。ホルシュタイン公国で起きたアウクステンブルク公クリスティアン・アウグスト2世(デンマーク王家オレンボー家の支流アウグステンブルク家の当主)その弟フリードリヒによる暫定政府の樹立である。この政府はデンマークからの分離を目指しており、背後にプロイセン王国の支援があった。デンマークはこの戦いに敗れて国土を大きく失うことになった。

疲弊した国に、一人の愛国者現る。

こうして戦争に敗れ国土を失ったデンマークを支えたのが、愛国精神に溢れたエンリコ・ダルガスだ。

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彼は〚外で失ったところを内で取り戻そう〛というスローガンを掲げ、ユラン半島北部の荒れ地に植林を行い、この地を肥沃な地に変えることで国家の復興に貢献したのである。あの内村鑑三も、戦いに敗れて国民が意気消沈しているときにこそ国民の真の価値が判明するといって、ダルガスを称賛したことで知られている(参照:〚物語 北欧の歴史〛)

東海大学の産みの親、ニコライ・グルントヴィ

グルントヴィもまた、戦後の暗い雰囲気が国家に漂う中、情熱と理想をかき立て、「国民高等学校」を設立した宗教・教育思想家である。

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この国民高等学校は農村の青年男女が学ぶための全寮制の学校となっており、1834年にユトランドに最初の学校を建てた。この国民高等学校が世に知られるようになったのはその独自の教育システムである。それは神と母国への愛を中心とする教育であり、公教育というよりも、教会学校というニュアンスの方が強いだろう。試験もなく、学生と教師との間に上下関係もない全く自由な雰囲気の学校である。この学校では知識ではなく、人間的な知的教育が重んじられ、文学や哲学や経済、社会問題などが教えられたという。現在では50-60校ほど北欧に存在する。

このグルントヴィの教育思想を建学の理念としたのがのちの東海大学となる、「望星塾だった(参照:〚物語 北欧の歴史〛)。

小国の偉大な作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセン

コペンハーゲンの街を歩くと、至る所にアンデルセンの銅像が建てられている。恐らく、デンマークで最も有名な人物がこのアンデルセンだろう。「裸の王様」「人魚姫」「赤い靴」「醜いあひるの子」など、私たちが幼い時によく聞いた話は、みな彼によって創作されたものである。

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しかし、彼の人生は決して優雅なものだったわけではない。むしろ、あまりにも悲惨で壮絶な人生を歩んできたのである。たとえば、彼の祖父は精神病者で祖母は病理的な虚言者だった。そして、父もまた空想家であり、私生児の母だけが善良な性格を有していたといわれている(参照:〚物語 北欧の歴史〛)。

さらに彼は幼い時から貧しく、また恋もうまくいかず、生涯独身でその生を終える。彼は諸外国ではその文才が認められる者の、祖国デンマークでは全く相手にされていなかった。そうした彼の人生は作品の中にも表れているという。たとえば、「マッチ売りの少女」は私生児だった母親を描写し、「醜いあひるの子」は自分自身への投影だったという。(参照:〚物語 北欧の歴史〛)

こうして、決して順風満帆ではなかったアンデルセンだったが、最後には名誉市民として称えられるようになり、今では世界中に彼の名前が知られている。

デンマークという小さな国から彼のような偉大な人物を生み出したことは驚くべきことである。

人が歴史を作る

今回はデンマークでも有名な3人の人物の紹介だった。

歴史上の人物を追ってみると、やはり歴史は人が作るものであることを学ばされる。

歴史から学び、歴史上の人物から学んでいきたい。

物語 北欧の歴史―モデル国家の生成 (中公新書)

物語 北欧の歴史―モデル国家の生成 (中公新書)