最近、大学入試にTOEFLを導入するという話が話題になっている。
BLOGOS ブロゴスTOEFLを大学入試で義務づけるとどうなるか?
TOEFL導入のメリットととして
・日本人の抜本的な英語力向上(特にスピーキング力やヒアリング力の向上)
・英語圏の留学も視野に入れられる。
などがすぐに挙げられる理由だろう。
これらのメリットを踏まえて、今日は少し多面的な角度からこのTOEFL導入の問題点について述べてみたい。
①なぜTOEFLなのか?をとことん突き止めたのか
そもそも論として、なぜTOEFLなのだろうか?
議論をしている人たちの間でTOEFLが最も有名で、彼らに受験経験があって良しとされているからだろうか?
先ほど述べたように英語力、特にスピーキング力の抜本的な向上を行いたければ必ずしもTOEFLである必要がない。
同じような試験としてイギリス発祥のIELTSがある。
両方受験した人の話では、TOEFLよりもIELTSの方が”まとも”だという意見もある。今は英国はもちろん、米国でもほとんどの大学がIELTSのスコア認めているので留学に使えるからTOEFLという考えも安易な考えと言える。
さらに韓国を参考にしてみよう。韓国では主に企業向けだがTEPSという英語試験がある。韓国も日本人同様、文法中心の英語学習が長らく続いていたがその脱却を試みるために韓国が独自に始めた試験である。
韓国は日本よりもTOEFLは身近な試験でスコアも高い。
しかしTOEFLを大学入試に導入しているわけではない。
日本のように推薦入試の形でTOEFLのスコアを提出させることはあるが、日本のセンター試験とされる韓国のスヌンでもTOEFLは導入されているわけではない。
それにも関わらず日本よりもスコアが高いのは、もちろん韓国人の異常なまでの留学熱による個々の努力は言うまでもないが、各学校教育の中で「文法は大丈夫だけど話せない」という今までの教育からそれなりに反省をした結果なのではないかとも考えられる。
日本もセンター試験や二次試験に代えてTOEFLを即導入する前にまず、センター試験/二次試験そのものの見直しを考える姿勢も必要なのではないだろうかと思う
なぜTOEFLなのか?ほかにないのか?
そこにTOEFLがあったから、という理由ではなくしっかりTOEFLという試験そのものを精査し、他の試験と比較検討しながら決めていく必要があるだろう。
②TOEFL導入によって経済格差がスコアに反映されてしまうことはないか
TOEFLは1回の受験が170$。
少し前に規定が変わって1回受験した後はその後21日間?受験することができない。
よっておそらく受験可能な回数は年に12,13回ほどになる。
さて、TOEFLやTOEICのような試験ではテストがある程度パターン化されており、回数を重ねるほどスコアも上がりやすいという性格がある。
決して安くないTOEFLの受験料を加味して考えると、これによって受験者間で格差が生じてしまわないかと懸念される。
月に1度、年に12回受験すると2040$かかることになり、日本円だと20万円を超える金額だ。
このように月に1度の頻度で受験できる学生と、頑張っても年に3,4回という学生とではスコアに差が出てくるのではないか、という疑問が生じる。
もちろんその解決策として模擬試験を導入したり解消される部分もあるだろうが、TOEFLという難しい試験の対策のために塾や予備校に通う学生と、通えない学生とにも差が生ずる可能性を考えれば、TOEFL導入は公平なようで公平ではない結果を招いてしまうかもしれない。
③他の科目との兼ね合いは大丈夫なのか
私もTOEFLを最近勉強しているが、率直に言ってすごく難しい。TOEICとは違ってやはり総合的な英語力が要求されるので即効性のある学習法はなかなか無く、スコアの向上も時間がかかるように思われる。
そのTOEFLを大学入試で導入することで、大学入試に必要な他の科目、国語・数学・歴史・公民・理科への学習は大丈夫なのだろうか。
TOEFLの勉強と合わせてこれらも大学受験で闘えるレベルに仕上げることは実質的に可能なのだろうか。
アメリカのように成績(GPA)やSATのスコア提出など書類による審査で合否が決まるのと違って、日本ではセンター試験を始め各大学で独自の入試を作っている。
ただでさえTOEFLの勉強で負担が増える学生にとって、果たしてバランスよく対策していくことが可能なのか疑問である。
さて、大学入試におけるTOEFL導入に際していろいろと述べてみた。
私自身、自分のオピニオンについて詰めが甘く、的を得ていない指摘があるのは承知である。
そして私自身はTOEFL導入に対しては賛成派だ。
しかし、その前に以上に述べたように、導入後に想定される問題やそもそもTOEFLというテストの性格についてよく考えてみる必要があるだろう。
まだまだ議論の余地は大きく残されている。