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世界の学びログ

 

特別な理由もなく会える関係性

土曜日に青春時代を共に過ごした旧友たちと久しぶりの再会をした。忘年会という体で集まったメンバーは16人+沢山のちびっこたち。

平成元年生まれの、もうすぐ30歳を迎え、かつ平成の終わりを告げようとする中でのある意味節目となる集まりだった。懐かしいけれども、昨日まで一緒にいたような感覚になれる。一緒にいてとても心地がよい。

この年齢になると、多くの友人たちがすでに家族を持ち、それぞれの人生を強く生きているようだった。何も変わらないようでいて、少しずつ何かが変わっていた。自分自身も学生時代に抱いていたような妙なプライドが削ぎ落され、相手の有様をそのまま受け止められる、純度の高い付き合いができるようになった。

社会人になってからも、沢山の知人・友人はできたが、青春を共に過ごした友人たちのような関係性を、果たして築けるのかと言えば分からない。誰とでも良い人間関係、純度の高い関係性を築きたいと思ってはいる。しかし青春時代に関係性を深めるまでにかけた時間、その圧倒的な質と量をこれからの人間関係においてどこまで同じようにかけられるのだろうかと疑問が残る。寝食を共にし、お互いの人間性を曝け出すという貴重な経験を通して得られた関係性は、友人関係を超えてもはや兄弟のような関係だ。

特別な理由もなく、会いたいと思える関係は人生においてとても貴重だと改めて実感する。「また集まろう」という言葉が社交辞令的なものではなく、心から出てくる関係性というのは、何物にも代えられない、人生の財産だ。